30年(!)エホバの証人でした。自然消滅してそろそろ2年。衝動的にブログ書きます!


by millinda

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初めて触れた暴露サイト(なんかすごい言い方ですね。なんて呼んだらいいんでしょう?)、
JWICには、真実の響きがありました。

ショックで頭が混乱する中、自分の心の奥に隠れていた、「本当の自分」の感覚だけを頼りに
夜な夜なむさぼるように、サイトを読み続けました。

主人にも言えず、集会や奉仕はそれまで通りに行っていました。


ただ、自分の中で、組織に対する信頼が、ガラガラと崩れていくのを感じていました。

それでも、もう、本当のことを知りたい、という欲求は止められませんでした。


どれをどの順番で読んでいったのかはもう覚えていませんが、
同時に読み進めていったサイトで、本当に心を揺さぶられて目覚めるきっかけになったサイトです。


北海道・広島会衆の事件簿

それまで、どこかで薄々と感じつつも見てみぬふりをしてきた、組織の偽善と愛の無さを目の前に見せ付けられた思いでした。



元統治体成員レイモンド・フランズの経験

組織が神の名において実際は人間的な思惑で動き、信者の命が左右されてきたこと、美辞麗句で飾りながら中身は「不完全さ」では片付けられない確信犯的な利己心が動機だったことを知り、義憤でいっぱいになりました。



会衆内のSOS

JWが組織と言う名の偶像崇拝に陥っていることを、真摯で明快な思考ではっきりと理解させてくれました。
サイトには真理と聖書と真の神と仲間の信者への愛があふれていて、議論の真実さを支えていました。



どせいさん日記

今は体裁が変わっていますが、当時は「テーマ別日記」の部分だけだったと思います。
JWの矛盾と愚かさを、ベースには愛がある口調で、広い視野で説いていて、自分のことを客観的に振り返る助けになりました。



JW解約

実は個人的に筆者真理真さんが海外のべテルで奉仕されていたことや、彼のお母様を知っていました。と言っても大会で一度お話しただけでしたが。すばらしい模範的な姉妹でした。論理の展開や幅広い資料の提供には有無を言わせない力強さがありました。




他にも、とにかく数え上げきれないほどのサイトやブログ、すべてが考える糧になりました。
どれほどの時間を費やして読み漁ったことでしょう・・・。

サイトやブログを書いていた皆さんは、もちろん、私の存在など知る由もなかったでしょう。
でも、私には皆さんがとても身近に感じられていました。

掲示板でお見かけした方を含め本当に、心からありがとうを伝えたいです!!!


(つぎの記事で、このお礼を言わなければならないブログなど、もう少し挙げさせてください。)
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by millinda | 2009-01-31 01:18 | 自然消滅への道

終わりの始まり

昨日思い付きで(!)ブログ開設して、2箇所でお知らせしたんですが、
今日見たら、もう5つもコメント入っていました~!(あ、今見たら6つでした)

うれしいです、ありがとうございます!

この2年、実はオフ会どころか、周りに元JWも全くいない・・・という
一見孤独な世界で生きて来ちゃったんですね。
(実際には孤独感はそれほどありませんでしたけど)

だから、なんか今になって・・・ではありますが、
「同じ釜の飯を食った」仲間と、ネットの上とはいえ交わる(おっと~この口癖が・・・笑)
のは、すごく懐かしくて、うれしいです。


さて、コメントで、「どういういきさつで自然消滅になったか」みたいなご質問が多かったので
(多いと言っても約2名。笑)
まずはそのお話からしてみます。


JW生活にどっぷりとつかり、それなりに楽しみ、JWであることは「誇り」でもあったので、
組織に疑いを抱いたり、不満を抱いたり・・・ということはほとんどありませんでした。

ま、かなり強いマインドコントロールを受けていた・・・ということなんでしょうね、今思うと。


どんな自分の理解を超える問題が生じても、「人間的な不完全さ」や「サタンからの試み」が問題なのであり、
私にとって、「父」エホバと「母」組織は絶対だったんです・・・。



ところが、きっかけになったのは、神権学校の割り当て、でした。

当時外国、しかも文書の持込が難しい禁令下の国に住んでいたので書籍の形の資料は少なく
なにか調べる際にはいつもCD-ROMを使っていました。

なのに、割り当て作ろうとしたら、CD-ROMが見当たらない~~~・・・。
書籍は無いし困ったな~・・・・そうだ!確か協会のサイトがあったはず。
サイトの中にならなにか資料が見つかるかも・・・。


そうして、初めて、ネットで「エホバの証人」というキーワードで、検索をかけてみたんです。

それまでに、家のTVは衛星放送を受信できなかったので
日本のニュースを見るために、ネットを見ることや、調べ物のために検索をかけることに慣れてきていました。


でも、「背教者サイト」に近づくことなんて考えてもなかったし
なにかの拍子に(多分一般ブログのリンクなどから?)、元JW2世のブログを開けた事もありましたが
うわ、なんか不平不満ばっかりで、一度も真理を自分のものとしたことがない
「わかってない」2世だわ~こういう情報で世の人がJW像を誤解しちゃったらいやだわ・・・・
なんて思ってすぐ閉じていました。
(いやん、その頃の思考パターンなんですから、今となっては申し訳ないですが許してね)


それが・・・・
その時は「魔がさした」としか思えません・・・いえ、本当は、
もし大いなる存在、サムシンググレート、または守護霊?のような単なる宗教を超えた存在があるとしたら
本当の意味で目覚めるようにとの、その介入(真の助け?)だったのかもしれません。


初めて、「JWIC(エホバの証人情報センター)」(そのときはまだ「旧」でした)を、開けてしまったんですね。


なにか攻撃的でもなく、特に不平不満をあおる様でもなく、理性的に書かれている感じがして
ちらっと、「こういうサイトは見ないほうがいいんじゃ・・」と言う考えが頭をよぎりましたが、
私が持っているのは、理性的な反論にも立ち行かない真理であるはずがないし、
どんな考えにもきちんと「論じる」理性的な信仰を自分は持っているから、ま、
こういうサイトを作る人がどんな考えを持っているのか「知識として」知るくらい構わないか・・・
と思ったんです。


それが、わたしにとって「自然消滅への道の、始まり」でした。

(これが・・・孤独でつらい道だったんですが・・・・続きはまた今度ね)
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by millinda | 2009-01-29 22:26 | 自然消滅への道

プロフィール

1976年浸礼。(ほらほら年齢計算しない~!笑)

とっても良い子の2世で、長老の妻で開拓者という、「模範的」なJW姉妹でした。

自然消滅直前の10年は日本を離れ、禁令下の国で奉仕してました。
(警察につけられたこともありますよ~。)


開拓奉仕していたのは東京と静岡。開拓者学校は東京。

ブルックリンべテルにあこがれ(?)ニューヨーク日本語会衆に短期間交わっていたことあり。

禁令が解かれる直前のポーランド国際大会出席(ドイツ・イギリス支部訪問)。

JWツアーでエジプト・イスラエル旅行したり・・・・

それなりにJW生活を楽しんでました。



ほら、あなたのそばにもいたでしょう?

よく若いヒトを招いてリクレーションしたり歌を歌ったり、(劇や紙芝居までやったよ~)

とにかく週末は家に誰かが来ていた。もうしょっちゅう「交わり」のお料理を作っていた!

ブラウスに花柄スカート、フリルのエプロンつけて・・・。


奉仕はよく支持し、集会では毎回一度は注解していて、
病気の人や元気のない人にお料理やお菓子届けたり・・・。


そんな「模範的」な、ちょっと身奇麗にしている若作りの(ほっといて下さい!笑)
「長老の妻」が、いませんでしたか~?


そう、それが私でした。

そんな私が自然消滅したのを、元長老(やはり自然消滅)の夫は「奇跡だ!」と言います。


あれからほぼ2年・・・。

ひっそりと、禁令下の国から日本に帰国し、日本の片隅で楽しく暮らしています。



もうJW時代のことはふっきれて、「ありがとうございました!」って気持ちだけなんですが、

ふと、最近あちこちのブログをのぞいて、私も書いてみたいな、と思いました。



すべての元JWに送るエールになればと思います。
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by millinda | 2009-01-29 00:18